あきちゃんヒプノ・フローライト
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霧の戦車 3
連続Web小説
レディ・ドラグーン  ~霧の戦車~
霧の戦車 3
 ウベラが陥ちた。2日前に。
 バルモア軍は50km後方のアルカノまで撤退して継戦中という。

 情報をもたらしたのは私服に襟章を付けただけの郷士軍猟兵だった。標高3000m級のカルダル峠を越え、山路を下り続け、ウベラまで約10kmの距離に近づいたときだった。
「芳しくありませんな。」
 戦況を問うマトリーザ寮監に年配の猟兵が淡々と答えた。もちろん正規の軍人ではない。本職は樵だろうか。
 ウベラから西に向かい、スキウル高原に布陣している第108軍団と合流し、その指揮下に入る。本部教官にしか知らされていないが、それが当初の任務であった。
 その108軍団自体が、補充兵と『志願奨励策』で掻き集められた少年兵が主体の、言わば新兵の寄せ集めであったという。これも郷士兵からの情報である。
 死守命令も空しく戦線はとっくに崩壊し、現在はアルカノ郷で市街戦の真っ最中であった。1週間で約150kmの突破を許したことになる。

 天幕からは相変わらずザラード少尉の罵声が響いていた。
 単車で先行していた本部斥候班のランタナ女史が
「地元郷士兵からの情報によれば」と言ったとたんに怒り狂った。郷士兵という言葉が逆鱗に触れたらしい。
「郷士兵など存在しない!」
 そう叫ぶや否や、『興国総動員法』の講釈を滔々と述べ始めた。『土の鳥』11年、バルモア皇帝ハバールによって発布されたこの法律によって、帝国内の領邦は公国、大公国から人口数百の諸侯領に至るまですべて廃された。お家大事のため皇帝に臣従していた諸侯も例外ではなかった。
 十数年前にようやく中央集権国家となったバルモア帝国には、もはや領主も傭兵も郷士軍も存在していない。とはいうものの『敵迫る』の報に接した旧領主が急遽地元民を動員し、昔懐かし郷士軍を編成しているのも事実であった。
 鉄道員は鉄道工兵、電信電話・郵便局員は通信工兵、水道局員は給水工兵、樵、猟師、漁師は乗馬猟兵、山岳猟兵、河川猟兵、渡し船の船頭は船舶工兵、岩塩鉱夫や土木工夫、大工は隧道工兵、築城工兵、架橋工兵、擲弾兵など、普段の仕事や業務は変わらないものの、一朝事有れば旧領主の指揮下に入り、いつでも軍隊組織に変身できる体制になっていた。
 現に、アルカノ方面で第108軍団の敗残兵を収容しながら戦線を維持しているのは、旧エギール領主ラントネッティ侯爵が糾合した郷士兵と、近在の各種工兵・兵科学校、および飛行学校の教官、生徒たちであった。第108軍団は司令部そのものが壊滅してしまったから、今はラントネッティ侯爵が、退却中の陸軍正規兵も含む全軍の指揮を執っている。これも法的に追及されたら立派な軍法会議ものであった。
 芳しくないどころの事態ではない。強いて望みがあるとすれば、敵の制圧地域が街道、鉄道沿線に限られていることであろうか。

 重く垂れこめた雲を破って、観測機が1機舞い降りてきた。手が届きそうなほどの低空を2度3度と旋回する。
「敵機!」と、ザラード少尉が叫んで天幕から飛び出した。
「応戦しろ、何をしておるっ、撃ち落とせっ!」
「味方ですよ。」
 ベンディクス校長が後ろから静かに声をかけた。ジプザール教官の操る『蚊トンボ』だった。
 森の切れ間から通信手の生徒が信号弾を打ち上げた。
 1発、2発。
「やめろおお~っ!」
 ザラード少尉が悲鳴を上げた。
「敵機に見つかったらどうする。作戦が失敗したら誰が責任を取るんだ。お前らに責任が取れるのか。どうするんだ。どうするんだよっ。」
「さ、どうぞこちらへ。」
 地団太を踏んで叫び続けるザラード少尉を、校長が天幕のなかへ招き入れた。
「ここなら安全です。」ウソだが。
 赤い信号弾を視認した『蚊トンボ』が翼を翻して急降下した。主翼が視界を覆うほどまで降下すると、真鍮の通信筒を落とし、そのまま雲の下をザウラ方向に向かって飛び去った。

「ウベラ既ニ陥ツ。ウベラ~アルカノ間ノ街道上ニ敵戦車数百両ヲ確認、アルカノニ向カッテ東進中ノ模様。我ガ軍ハ現在アルカノ郷ニテ防戦中。ウベラ邑ニ敵砲兵陣地トオボシキモノ見ユ。雲上ニ敵機多数、警戒サレタシ。」
 マトリーザ寮監が鉛筆書きの通信文を読み上げると、天幕のなかの教官たちがザラード少尉に視線を向けた。
「いかがいたしますか?」
 と校長が机に広げた地図を見て問うた。
「いかがも何もないっ。スカニア市に於いて第108軍団と合流せよとの命令だ。命令を忠実に実行するまでだ!帝国陸軍に不可能はないっ!」
 万難を排し、命を惜しまず、死を賭して勇猛果敢にと、あくまで命令遵守に拘った。職務に忠実なのには敬服するが、目の前の現実が見えているのだろうか。
「北方軍司令部に状況を報告して指示を仰いでは?」
「馬鹿もん!作戦中は無線封止だ。」
 カウナス教官が地図にコンパスを当てた。
「ウベラからここまで10km弱。軽榴弾砲でも射程内です。」
「このまま行軍を続けますか? 多分、敵の砲撃で袋叩きになりますが。」
「そ、それはお前らが何とかしろっ。それがお前らの任務だろうが。」
 砲術科のスタウロ教官が地図を指した。
「おそらく、ウベラの放列は我々を狙っております。アルカノ攻撃の支援にしては距離が遠すぎる。」
「我々の存在は敵に知られている、と?」校長が問う。
「そうですな。敵は迎撃体制をとって我々を待ち構えていると思われます。」
「正確な敵情を把握しないことには。」
「ともかく、偵察を出しましょう。」
 ダルドン教頭がその場で命令書を作成し、ザラード少尉に副署を求めた。
「何だこれはっ!」
「は?何か問題でも。」
「は、じゃないだろう。たかが偵察に何で教官を出さねばならんのだ。お前らが行くことはない。生徒に行かせろ。」
 偵察、なかでも威力偵察は最も危険の高い、練度を要する任務だ。そう説明する校長をザラード少尉は遮った。
「偵察なんか行って見てくるだけだろっ。馬鹿にでもできる!」
 さすがに気色ばんだ校長を制するように、マトリーザ寮監が言葉を被せた。
「生徒だけでは迷子になります。」

                ※

 3時間に亘る悪戦苦闘の末、313号車がようやく路上に生還したとき、見守っていた生徒たちから歓声が沸き起こった。
「機工長殿、まるで勝利の勝ち鬨ですね。」
 汗を拭いながら回収車から降りてきた工手の声に、スヴァログ機工長が答えた。
「そうじゃなぁ。これで帰ってもええくらいじゃ。」

 後方には足止めされた段列と輜重が長蛇の列を成している。
 スヴァログ機工長に尻を蹴られるように、313号車は山路を急ぎ本隊を追った。
 今度はカヤ、ルルス、ユモにもハッチから前方側方を視認させ、時折り降車しては車外からの誘導を繰り返した。おかげで再度の転落は免れたものの・・・・・
「おい、道が無ぇぞ。」
「おっかしいなぁ。」
 トルマが地図を睨んでは周囲を見渡す。鬱蒼とした木立の中を一条のせせらぎがウネウネと流れていた。そのせせらぎを跨いで313号車が鎮座している。
 3人の下級生は賑やかにお喋りをしながら携行缶から燃料を補給していた。不意の遭遇に備えて燃料タンクは小まめに満タンにしておくのが鉄則だ。戦闘時の油切れは弾切れ以上に命に係わる。
「車長さん?」
 後ろからルルスに呼びかけられてトルマの背中がゾワッとなった。
さん付けは気持ち悪いから止せと再三諌めるのだが、「目上の方を呼び捨てにするのは失礼ですわ。」と一向に改める気配がない。妙なところで頑固だ。
「車長さん、給油が終わりましたわ。」
 振り返ると、オラムとユモが空の携行缶を車体後部のラックに積み込んでいるところだった。
「水も補給しとけ。おいおい、もっと上流で汲め。そこじゃあオイルが浮いとるだろが。」
 トルマは今来た方向を眺めた。すでに濃霧の壁が立ちはだかっている。下手に引き返すと余計に迷いそうだ。
「アズール川方面って言ったよな。」と、カヤに尋ねた。
「うん、そう聞いたが。」
「この川に沿って下ったら、アズール川のどこかに出るんじゃないのか?」
「おっ。」カヤの憂い顔が晴れた。
「いい考えだ!」

                ※

 313号車が行方不明?

 教官中隊の重戦車は最後の決戦兵器だ、偵察如きに使用許可は出せん、と主張する督戦武官と喧々諤々の議論の末、生徒大隊の1個小隊にマトリーザ寮監の指揮する重戦車1両が付き添うことで、なんとか話がまとまった。
 選ばれたのは、玉石混交、というより石々混交の学校教材のなかでも一番ましな車輌が揃っている、第3中隊の第1小隊であった。
―くだらないことで時間を無駄にした。
 急ぎ出発準備を下命したとき、313号車が未だ到着していないことに気付いた。ようやく本隊に追いついてきた兵器班に尋ねてみても、追い越した憶えはないという。
「追い越せるほど道が広けりゃぁ苦労せんが~。」
 それもそうだ。
 どこかで人知れず遭難している可能性もあるが今の段階で捜索に手を割くわけにはいかない。とりあえず最後尾の輜重隊に向けて、転落の形跡に注意するよう伝令を走らせた。
―今できることはこれしかない。
 マトリーザ寮監はそう思いつつ、単車に跨って来た道を登っていく中等部3年の伝令卒を見送った。
 それより313号車の欠を埋めなければならない。それが差し当たっての急務だ。予備車輌は各中隊に1両しかないから当然それを充てることになる。
 第3中隊の予備は302号車。車長は高等部1年、ロベリア・シルベストル。

―なぜロベリアがここに!
 学内では生徒隊長、今は第1小隊小隊長のクリーダ・ラグザルは、マトリーザ寮監の前に整列しているロベリアを見て息を飲んだ。

                ※

 レプリスクとザウラのほぼ中間にあるオルニス郷で山岳鉄道に乗り換えて6時間、終点のプデリ邑から馬車で3時間、川沿いの街並みを見おろす断崖の上にクリーダの育ったラグラン城が在る。レプリスク城やザーレン城とは比較にならないほどささやかな、古色蒼然とした山城である。『木の虎』の世紀に築城されて以来700年、代々修築と建て増しを繰り返し、手狭な城郭内はまるで中世都市の路地裏のような有様であった。焼夷弾が一発落ちれば全焼は免れない。
 クリーダが暮らしていたのは城の最奥にそびえ立つ石造りの天守(キープ)だったから、毎日迷路のような城内を通り抜けて麓の小学校に通った。世が世ならと祖母は嘆いたものだが、もはや貴族の子弟と謂えど城の中で私教育を受ける時代ではなかった。高低差80メートルを五年間通い続けたおかげで、足腰は充分すぎるほど鍛えられた。

 ロベリアとの出会いはクリーダ本人にも定かではない。物心ついたころにはもう一緒に遊んでいた記憶がある。
 大人からも子供からも一目置かれ、あるいは一歩引かれる。領主制度が廃止されたとはいえ、それが伯爵家に生まれた者の宿命であった。もはや昔日の面影もない没落貴族であってもそれは変わらない。
 生まれながらに孤独感を背負ってきたクリーダにとって、ロベリアだけが対等に、子供らしさを存分に発揮して遊べる相手だった。
 初夏の風とともにやってきて秋風とともに去ってゆく。本当に人間なのか、もしかしたら天から舞い降りてきた妖精ではないのか。幼心に本気でそう思っていた時期もあった。

 ダルゴート大公国の首府ベリエラで材木商を営むロベリアの父、モルガ・シルベストルがラグラン城を訪れたのは、航空機用の良質な木材を調達するためであった。折しも『火の猿』100年、ファルーブ革命後の政情不安がバルモア帝国諸侯の内紛を招き、やがて内乱へ燃え上がろうとしていたころである。
 この来訪をきっかけに軍需景気の波に乗った『シルベストル商会』は一代で財を成し、後に軍需産業全般に関わる財閥へと発展することになる。それはまた、時代の波に取り残され、年ごとに衰微していたラグラン郷にとっても救いの縁となった。

 何世代にも亘って育まれ、丹精された森の木々。
 質朴な領主と領民たち。
 人が山を慈しみ、山が人を愛している。
 ラカン族といえば剽悍な傭兵の印象しかなかったが、これが本来の姿なのか。
 100年前から時が止まったようなこの地に魅了された彼は、城の裏手に建つ邸宅、長らく放置されていた先々代の隠居所を借り受け、商用と休暇を兼ねてしばしば長期に亘って滞在した。
 最初は汽車と馬車を乗り継いで、クリーダが生まれるころには妻とともに自家用機で、その1年後にはロベリアを抱いて専用滑走路に降り立った。
 二人が小学生になっても両家の親密な交流は変わらなかった。夏休み中ずっと滞在しては、家族ぐるみ互いに招き招かれる間柄が続いた。クリーダの兄、ロフス・ラグザルとロベリアの婚約話が持ち上がったのもこのころである。

 貴族の血筋に憧れるシルベストル家と、ラグラン郷再興のための手法と資金が必要なラグザル伯爵家。両家の利害が一致した。
 幸い兄もロベリアも互いに憎からず想っていたから、世間が期待するような悲恋物語にはならなかった。
 ロベリアがクリーダの後を追うようにレプト鋼騎女学校に入学したのも、ラグザル家に嫁ぐ資格を得るためであった。ある意味、女子寄宿学校時代の伝統に則る、由緒正しき身の振り方ともいえる。ラグザル家ですら払えないほどの学費・寮費も、一括前納してあるから兵役も免除されていた。
 卒業してラグラン郷に戻ったら速やかに式を挙げ、ジベールの首都ルノボグで、一介の勤め人として暮らしている兄とともに新婚生活を送ることになっていた。将来、兄がラグラン城へ戻って爵位を継いだ暁には、伯爵夫人としての未来が約束されている。

 卒業するころには戦争なんかとっくに終わっているさ。
 入学したころには誰もがそう思っていた。

 干渉軍との戦いに勝利を治めて西方の失地を回復したバルモア帝国が、次に矛先を向けたのは南方のゾラ半島諸国であった。
 バルモア軍のエルデン王国進駐に始まったゾラ紛争は、5年半の束の間の平和を破り、マラート帝国との全面戦争へと拡大した。
 そもそもゾラ半島諸国とは今から30~40年前、『火の猿』80~90年代にバルモア帝国から離反、独立した国々である。バルモアにとっては本来固有の領土であり、一連の軍事行動は国家間の戦争などではなく、あくまでも反乱平定に過ぎなかった。
 きわめて遺憾なことに、この正当な主張は国際世論の理解を得るには至らず、近隣諸国との関係は悪化の一途を辿ることとなる。

 2年後にマラートが降伏したときには、ラグラン城でさえ領民を招いて盛大な戦勝祝賀会が催された。今にして思えばバルモアの全国民が狂躁状態にあった。人のことは言えない。当時小学5年生、レプト鋼騎女学校入学を翌年に控えたクリーダもそのなかの一人だった。
 その同じ年、ゾラ半島最後の失地であるプドルフ王国への侵攻が引き金となり、ついに近隣列強諸国との戦端が開かれることになる。
 すでにプドルフ王国の後ろ盾となっていたランベルク共和国、ギルロード連邦のバルモアに対する宣戦布告をきっかけに、アルバンジア大陸の植民地を巡ってギルロードと対立していたロドーラ帝国がバルモア側について参戦、それに応じて、かつて内戦に干渉してバルモア分割を目論んでいたアラニス帝国、ルジーナ帝国などが連合軍に加わった。
 弩州大戦、ドーラ大陸全土を巻き込む世界大戦の幕開けであった。
 将来を憂う者はごく僅かだった。ましてや、緒戦の快進撃に湧き立つバルモア国民にその声が届くことはなかった。

                ※

「この辺りに敵陣らしきもの在り、との報告が」
 キュイラス重戦車に駆け登ってきたランタナ女史が、地図を示してマトリーザ寮監に告げた。
「郷士兵からの情報ですが。」
「前哨かしら。」
「この位置だと観測所かも知れません。」
「そうね、気を付けるわ。」
 排気管が唸った。キュイラスの後ろに4両のフサリアが続く。フサリアの先頭がクリーダの小隊長車、ロベリアの302号車は小隊の3号車として312、314号車の間に入った。

「マトリーザ先生、酔いませんかね?」
 レシーバー越しにタルク教官が尋ねた。
「え、まぁ、長時間はきついわね。」
 内臓を揺さぶるような不安定な揺れに耐えながら返事を返す。
 キュイラスの機関室には発動機(エンジン)、発電機と左右2基の電気モーターが詰め込まれている。発動機で発電機を回して電気を起こし、電気モーターで左右の起動輪に動力を伝えるという複雑怪奇な代物だった。引き渡しの際、機関室ハッチを開けて初めて中を覗いた教職員は一様に眩暈に襲われたという。
 道々、話は聞いた。
 設計者のボッシュ博士によれば、変速機が不要、始動が用意、加速も旋回も思いのまま、超重量戦車にも対応可能と、良いことずくめの触れ込みであったが、いざ完成してみると動力機構と懸架装置(サスペンション)に致命的な不具合が多発、散々手を尽くした挙げ句改善の見込み無しとして不採用となった。
 戦局打開のため、試験前に見切り生産された十数両のキュイラスは結局使いものにならず、工場の倉庫に埃を被ったまま放置された。今回レプト鋼騎女学校が受領した車輌はそのなかの5両である。
 もう1両受領したのが現在開発中の新型重戦車、キュイラスⅡの増加試作型であった。実用試験も兼ねて供給されたが、こちらはザーレン城を出る事すらできなかった。
 旋回はともかく真っ直ぐ走らないのが何より困る。
「天才のやることですからな。」
 と、カウナス教官はぼやいたが、マトリーザ寮監に言わせれば天才と紙一重だ。

 森が途切れた。
 左手に農家が一軒。住民は避難したのだろうか。無人のようだ。
 鈍足のキュイラスに歩調を合わせ、一列縦隊で路上を進む。
 クリーダが砲塔を回した。後続のフサリアもそれに倣う。
 1号車から順に10時半、1時半、4時半、7時半。側方と後方の警戒だ。
 急峻な斜面に挟まれた狭い平地が、蛇のように曲がりくねって伸びている。
 山裾を回り込む。
 前面の盆地に数軒の集落、その周囲に畑が広がっている。
 シュルルルルッ!
「来たっ!」
 前方への着弾を皮切りに、堰を切ったように周囲に弾幕が降り注いだ。フサリアが道路を降り、左右の農地に散開する。かねての打ち合わせどおり、左に1,3号車、右に2,4号車。
 フサリア小隊は速度を落とし、砲火が集中するキュイラスと距離を取った。キュイラスにはすでに数発命中しているようだったが、すべて弾き返し、弾幕の中を悠々と前進している。
―3号車がいない。
 身体を捻って小隊の隊形を確認していたクリーダは、後ろに付いている筈の3号車が見えないことに気付いた。
―どこ?どこだ。
 視察口の防弾硝子越しに周囲を視認する。機関不調で引き返したか。それならむしろ好都合だが。
―あんなところに!
 砲塔を左後方に向けたまま、右側に展開した2号車の後方を進んでいた。
クリーダは手に握った発光信号機でハッチを僅かに押し上げた。榴弾の弾片が立て続けに襲いかかる。装甲板に当たる音が耳を打つ。うっかり顔は出せない。
「3号車、ヒダリ。3号車、ヒダリ。」
 信号機の先端だけをハッチとの隙間から露出させ、光でモールス信号を送る。
―気付いてくれ。
「302、302、ロベリア、ヒダリ!」

「ルベウス先生、11時50分、仰角20度、見えますか。」
 マトリーザ寮監の声に、砲手のルベウス教官が照準器を覗いた。
「おっ・・・・・ああ~、あれですな。」
「榴弾。瞬発、5発。」
 すでに身構えていた装填手が榴弾を取り出し、弾頭先端に瞬発信管を装着した。
「装填完了。」
「止まれ。距離1800。」
 ルベウス教官がハンドルを回して照準を微調整する。
「照準、良し。」
「撃てっ。」

 やっと気付いた。3号車が慌てて向きを変えた。道路を横切り、不整地を飛び跳ねるように全速で1号車を追ってくる。
―気を付けろ、転倒するぞ。
 シュルルルルッ!
 真上から降ってきた榴弾が3号車を直撃した。車体が跳ね上がった。炎が吹き上がる。
「・・・・・・・」
 ハッチが開く。
 炎の中から手が伸びる。
 震える手がハッチの縁をつかんだ。
「逃げろ、逃げろ、まだ間に合う、早く、早くっ!」
 車長として有るまじき行為と知りながら、クリーダは3号車から目が離すことができなかった。
 頭が、肩が。
 服も戦車帽も燃えている。
「もう少し、もう少しだ。頑張れ、頑張れっ。」
 爆発が起こった。砲塔が吹き飛んだ。
「まさか・・・・・うそだ、うそだ、ロベリア!」
 1号車が急旋回して傾いた。
 キュルルルルッ。
 嫌な音がしてそのまま動かなくなった。
 操縦手がレバーを動かす。ペダルを踏む。
 懸命の操作にもかかわらず、排気音が苦しげに吼えるばかりだ。
「動きません!多分履帯が、」
 戦闘時には、戦車は常に動いていなければなりません。動かない戦車は標的になるだけです。
 授業で聞いた言葉がクリーダの頭に蘇った。
―どうする、どうしたらいい。
 頭の中が真っ白になった。
 戦車が停止するのは射撃をする時だけです。
―そうだ、撃てば良いんだ、射撃目標は、目標はどこだ。いや違う。何を考えているんだ私は。
「脱出!」クリーダの叫び声に、搭乗する生徒全員がフサリアから飛び出した。

 初弾のズレを修正しただけで次弾以降は正確に目標を捉えた。敵陣は跡形もなく吹き飛んだ。
「お見事!」
「なんの、お易い御用で。」
 キュイラスが再び動き出した。敵の弾幕は隊列を追うことなく後方へ去っていく。
 第1小隊の様子は?
 マトリーザ寮監が後方を視認。
 弾片を浴びて満身創痍のフサリアがかろうじて付いてくる。隊形維持などと言える状況ではなかった。2両しか見えない。残りはどうしたのだろう。あの弾幕の中か。無事に逃げ帰ってくれれば良いが。

「道路上に2両、右に2両、左1両、距離2600。」
 ハッチから頭を出して双眼鏡を覗いていたマトリーザ寮監が頭を引っ込めた。
「タルク先生、止まって下さい。1時半。」
「了解、昼飯の時間ですな。」
 キュイラスの車体が45度旋回して停止した。
「徹甲弾用意。」
 PA7中戦車が距離を詰めようと迫ってくる。
 距離2000。
「撃てっ。」
 徹甲弾の尻から発する曳光が敵戦車に吸い込まれる。
 ルベウス先生の射撃の腕前には定評がある。遠くなら良く見えますからな、と常々口にしているが、それだけではないことは皆が良く知っていた。
 眼より上だけハッチから出して再度視認。
 2両破壊。残り3両の後方に後続の戦車が見える。正確な数は確認できないが、少なくとも10両は下らない。
 敵も応射してきた。急いで頭を引っ込めハッチを閉める。この距離なら問題ない。むしろ弾切れのほうが心配だ。
 念のため視察口越しに全周視認。
「なっ!」
 マトリーザ寮監の身体が硬直した。
「何してるのっ!」
 レシーバーから響く大声に、キュイラスの教官のほうが飛び上がった。
 フサリアが37ミリ砲を乱射していた。この距離では届く筈もない。
 隠蔽もせず、稜線に乗り上げて全身を敵に晒したままだ。授業も教練もまったく役に立っていなかった。
―あのままでは砲身が焼けてしまうわ。
 過熱で砲身が変形したら筒内爆発を起こす。無線封止などと言ってる場合ではなかった。
「帰投セヨ、タダチニ帰投セヨ。早ヨ帰レ!」
 まるで気付かない。肝心の無線士が前方機銃を打ちまくっている。
「タルク先生、前進、1時。」
 敵に横腹を見せるのか、と訝しく思いながら車体を回す。フサリアが操縦席視察口の視界に入った。
「何ですか、あれは。」
「あの前に出て下さい。」
「後ろから撃たれますよ。」
「かまいません。」
 野菜を踏み潰して、畑のなかをのっそりと進む。車体がずしりと沈む。あそこまで行き着けるか。
 フサリアの視察口の視界を、キュイラスの巨体が塞いだ。
「わーっ ‼」
 フサリアの中はすでに修羅場だった。恐怖で泣き叫びながら指だけが引き金を引いている。機銃弾がキュイラスの装甲板を激しく叩く。
「こらーっ、どこを撃ってるの! さっさと帰りなさい。回れー右っ。」
 車内無線(インターカム)の声が届いた。
 我に返って急旋回したフサリアが脱兎のごとく去ってゆく。
 敵野砲の砲撃が止んでいることを確認して、マトリーザ寮監は大きく息をついた。
 前方を見る。黒煙が幾筋か立ち昇っている。
「何両撃破しました?」
 戦果を問う声にルベウス教官が応えた。
「4両です。あ、今5両目。」

(つづきます)
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