あきちゃんヒプノ・フローライト
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第五話 蒟蒻宇宙
連続Web小説
ザ・ハウス       北岡 宝山
第五話 蒟蒻宇宙
「これが宇宙です。」と、O老人は掌に乗せた蒟蒻を見せた。そして、
「これが地球です。」と云ってソーセージを一本差し出した。

「この館には台所が有りませんでした。その代わり厨房というものが有りました。この部屋です。」
 半地下の広い空間を見渡す。人が入れるほどの大きな暖炉が目につく。天井近くの窓から差し込むオレンジ色の午後の光が灰色の石壁に映えていた。無骨で大きな配膳テーブルにはビーカーやフラスコ、アルコールランプ、天秤量りなど雑多な実験器具が雑然と並び、その周りにはハンダ鏝や針金の切れ端やらが散乱し、先程の蒟蒻とソーセージが銀の皿に乗って出番を待っていた。

「さて、」O老人は千枚通しで蒟蒻の中央に穴を開けた。
「恒星でも惑星でも超新星でも良いのですが、宇宙空間に星が存在するとどうなるか。」と云いながら蒟蒻の穴にソーセージを差し込んだ。

「蒟蒻にソーセージを差し込むと、蒟蒻がこのように押し広げられて変形します。これが空間の歪みです。
 この押されて広がった空間が今度は地球―ここではこのソーセージ―を圧迫します。この圧迫する力が地球上のあらゆる物質―固体も液体も気体も、地を這うものから空を飛ぶものまですべて―を地表に押し付けています。
 私たちは地球に引っ張られていたのではなく空間に押されていたのです。空間圧、これが重力の正体です。」

「吃驚しました?」
 余程呆気に取られた表情をしていたのだろう。O老人は悪戯っぽい笑みを浮かべて私の顔を覗き込んだ。

「実は質量もそうなのです。無重力の宇宙空間に居ても、私達の身体は体重と同じだけの質量を持っています。重力の有無に係わらず、何故すべての物質は質量を持つのか。質量が空間圧だからです。」

「あまりにも単純すぎて拍子抜けしますね~。
 え、空間に圧なんかあるのかって?それがね、あるんです。」

 嬉しそうに揉み手をしながらテーブルの上に小道具を揃えた。
 針金で作った函のような立方体が2つ。ペットボトルが2本。

「まさかと思われるでしょうが、空間は物質より重いのです。ま、重いというのは語弊がありますな。密度が高いとでも申しますか。あ、一寸手伝って下さらんか。」

 よっこらしょ。
 二人掛かりでテーブルに水槽を乗せると、O老人が手桶を渡した。大きな水瓶から水を汲み入れる。

「昔ながらの厨房なので井戸も水道も有りません。外の釣瓶井戸から水を汲んでは此処に溜めて使ったんでしょうな。いや、昔の人は偉かった。毎日こんな大仕事をしていたんですから。あ、ご心配なく。今はちゃんと、上の階にシステムキッチンが入っております。ガスも水道も電子レンジも揃っておりますよ。」

「これが原子です。」と云って針金の立方体を見せた。そして
「これが空間です。」と、水槽の中の水を指した。

「この函は一辺が10㎝有ります。少々歪んでおりますが、そこはご愛嬌ということで。」
 と云うとおもむろに空のペットボトルを取り出し、メスシリンダーで計りながら水を入れる。

「この立方体の体積が10×10×10で1,000立方cm。ですからこの体積の水の量は、え~と1リットル、でしたかな。一寸持ってみて下さい。」
 と、1リットルの水が入ったペットボトルを差し出した。
「結構重いでしょう。約1kgあります。では、こちらは。」
 針金の立方体を私の掌に乗せた。
「どうでしょう。あ、そうそう、これも一緒でないと正確ではありませんな。」
 掌上の立方体の上にもう一つの空のペットボトルも乗せる。
「比べものにならないくらい軽いでしょう。物質はこんなにも軽いのです。にも拘らずこの通り、物質同士は通り抜ける事が出来ません。」
 と云いながら針金の立方体同士を打ち合わせた。

「本当はこんな風に固い物がぶつかるのではなく、電子か何かの電気的な反発力でこうなるようです。その辺はあまり突っ込まんで下さい。私も詳しく知っているわけではありませんので。」

「不思議に思われるでしょう。物質が何故、高密度の空間の中を自由に動き回れるのか。
 それはこの立方体のように、物質のほうがスカスカだからです。
 原子の中で原子核や電子、つまり粒子や素粒子の占める割合は10万分の1と言われております。見たわけではありませんが。
 私達の身体を含めて、物質の99,999%は全部空間です。
 原子核がピンポン玉の大きさとしましょう。すると原子は野球場ほどの広さになります。そして電子はゴマ粒の大きさになります。あの広い野球場のほとんどがスカスカの空間ということになります。」
 そう云って立方体を水中に沈め前後左右に滑らせる。針金の間を水がすり抜ける。

「まあ、人間も星も、こんな風に空間の中を動いておるんですな~。いや、正確に云うと、空間の流れに沿って動かされているのかも知れません。あ、そうそう、忘れておりました。」

 O老人は部屋の隅に放置されている塗りの剥げた冷蔵庫を開けて缶コーヒーを取り出し、一本を私に差し出した。心配になって冷蔵庫の後ろ側をそれとなく覗いてみた。石壁を這う電源コードが確認できる。そう言えばさっきから、高い天井から下がった電球が配膳テーブルを照らしている。電気だけはこの部屋にも来ているようだ。

「これほど高密度の『空間』を人類は見る事は勿論、認識する事すら出来ませんでした。それは何故か。人間自身が空間そのものだからです。」

 木のベンチに腰を下ろし、喉を潤しながら老人は語った。

「宇宙に存在する物質は一つ残らず、99.999%空間でできております。人間も例外ではありません。だから・・・・・」
 と何故か、辺りを憚るように声を潜めた。

「本当は、私達人間は空間そのものと言って良い。だから物質を見る事が出来るのです。
 空間は物質を見る事が出来ますが、物質が物質を見る事は出来ません。空間が空間を見る事も出来ません。」
 再び呆気に取られた私を見て、O老人は缶コーヒーを飲み干した。

「そんな話、聞いた事も無いって? それはそうでしょう、私も初めて話しました。
 とても信じられないと思います。無理に信じなくても結構ですよ。聞いて下さっただけでも大変有難い。でも、本当の事です。」

「そうそう、くれぐれもご注意申し上げますが、こんな与太噺、決して他所ではしないで下さいね。変人と思われますから。」
 言いませんって!
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